丸角立四目
この家紋は種子島の西之表村の岩重さんのものです。
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種子島家譜から抜粋した西之表村からでた岩重さんのこと を書いておきます。
岩重喜作
巻四十四 文政十一年 (1828) 三月 三日
○同日、西之表村百姓喜作・新吉・休之進・諸次郎、無双流拳法を学ぶを以て、兵具所附足軽と為し、喜作に岩重氏を与へ、新吉に小村、休之進に藤田、諸次郎に中原を与ふ。
(一世足軽か代々足軽の指定がありません。多分一世足軽 −− 博視)
岩重甚右衛門
巻六十二 弘化三年 (1846) 三月 晦日
○下西之表一世足軽岩重甚右衛門を以って代々足軽と為す。麑府に役して飯米を受けず、且つ手伝の法を善くするを賞するなり。
(鮫島宗美復刻版に岩重甚左衛門となっていますが種子島開発総合センターにある原本によると岩重甚右衛門となっています。岩重甚右衛門の一世足軽になった記録がありません。岩重喜作さんの子供かも知れません? −−博視)
巻六十八 嘉永五年 (1852) 五月
○十一日、下西之表足軽岩重甚右衛門、
巻六十九 嘉永六年 (1853) 四月
○二十六日、親族牧瀬権右衛門、 嗣子無し、岩重甚右衛門の嫡子を養ひて子と為すの事、
嘉永六年 (1853) 七月 十九日
○同日、金子各々百疋を下西之表道具番岩重甚右衛門、鮫島休助に与ふ。大島の漂流人を護送して麑府に達するを以てなり。
岩重金助
巻八十三 慶応三年 (1867) 六月
○二十日、下西之表の岩重金助