丸左三つ巴

 

この家紋は種子島の安城村から出られた岩重さんの家紋です。

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種子島家譜から抜粋した安城村からでた岩重さんのことについて書いておきます

2 岩重惣太郎 

巻四十四 文政十一年 (1828) 六月

○八日、百姓休五左衛門・幾右衛門・角之允・新右衛門・新造・休右衛門・惣之允・市右衛門・諸吉・惣太郎貞右衛門・次郎太・新右衛門、自ら足軽と称し、市右衛門・新造・新右衛門は榎本氏を犯し、休五左衛門・惣之允は秋山氏を犯し、幾右衛門・次郎太は河口氏を犯し、角之允は長野氏を犯し、休右衛門は長山氏を犯し、諸吉は大瀬氏を犯し、惣太郎は徳永氏を、、 (二字削除 二月二十日2010 岩重博視)、、貞右衛門は山口市を犯し、新右衛門は鮫島氏を犯す。事、発覚す。ことごとく庶人と為して、其の高を籍没す

巻四十四  文政十一年 (1828) 十月

○廿一日、安城村百姓惣太郎、銭三十貫文を納むるを以て、一世足軽と為し、岩重氏を与ふ。

巻四十六  文政十三年 (1830) 四月

二十七日(または後の日)

○高奉行日高杉右衛門を以て船奉行に加へ、猶高所の事を聴かしむ。
○令を出して、家老より諸有司に至るまで、漫(みだ)りに職を辞することを禁ず。
安城村一世足軽岩重惣太郎を以て代々足軽と為し、高九斗二合八撮(さきに故ありて収むる所の高なり)を与ふ。官、宗助を護送するの足軽を求む。岩重が佞弁(ねいべん)あるを以て、之に当つ。官、宗助をして逃亡せしむるの事を督責す。岩重、能く之を弁別し、事、竟(つひ)に無事に属す。
 (「佞弁」は右の場合は、悪しき意味(佞媚巧言)には非ず。善き意味(才智能弁)の方なり。宗)
○官、岩重惣太郎をして科銭四百文を納めしむ。宗助をして出奔せしむるに坐してなり。事、左の如し。

 

岩重七太郎 (もしかすると安城村代々足軽岩重惣太郎のこども?)

 

巻六十五 嘉永二年 (1849) 三月 六日

○同日、安城村の、 、足軽 、 、岩重七太郎

     嘉永二年 (1849) 五月

○十八日、安城村の、 、足軽 、 、岩重七太郎

     嘉永二年 (1849) 七月 二十二日

○ 、 、さきに安城村の、足軽 、岩重七太朗

 

巻七十三 安政四年 (1857) 十一月

○二十六日、安城村 、 、岩重七太郎

 

安城出身の岩重さんの戸籍抄本によると、岩重七太郎さんから載っているとのことです。

            岩重七太郎

長男    岩重惣之助

長男    岩重惣太       

長男    岩重守清

長男    岩重 勇

長男    岩重雄二    現在生存

岩重惣之助さんと岩重惣太さんとで名前に 惣 を使っていますから、

恐らく     岩重七太郎さんの親は岩重惣太郎さんだと思われます。

さあ、丸左三つ巴の家紋を持つ岩重さん!!

お宅の家系がどこから分かれたか報せてください。